石清尾山古墳群

【史跡石清尾山古墳群について】

 石清尾山古墳群には、4世紀から7世紀にかけてつくられた200基余りの古墳があります。これらは、墳丘を土で築いた盛土墳と、石で築いた積石塚とに分けられます。中でも、積石塚は4〜5世紀にかけてつくられたもので全国的に珍しく、形も特異な双方中円墳をはじめ前方後円墳などと多様で、貴重な文化財として有名です。
 石清尾山では、古墳時代のはじめには既に前方後円墳が出現していたらしく、先進的な地域だったと思われます。さらに、他の地方では見られない積石の古墳や中円墳等に強い個性がうかがえます。
 積石塚古墳の出現理由には、石清尾山では石を得られやすかったためとする自生説と、積石塚が所在する朝鮮半島から伝来したとする渡来説があります。両説とも一長一短があり定まっていませんが、背景には豪族がいたのに間違いなく、当時の石清尾山周辺の繁栄がうかがい知れます。
 5世紀の中頃になると、積石塚は縮小され形も円墳となって、明らかに石清尾山の大豪族の衰退がみられます。おそらく、個性的であったがために幾内の中央の勢力によって押さえ込まれたのでしょう。5世紀の終わりごろになると、もはや積石塚古墳はつくられなくなります。その後、石清尾山に古墳がつくられるようになるのは約100年後のことです。
 それは、盛土で横穴式石室をもつ古墳として現れます。この時期の古墳は、数多くつくられますが、古墳の規模、石室の構造、副葬品の内容等差異がみられなくなります。石清尾山の横穴式石室古墳でも同様で、積石塚古墳がつくられたころの面影はありません。
 いずれにせよ、積石塚古墳によって代表される石清尾山古墳群は、極めて特色があるとともに、高松の文化の原点として、また、日本の歴史上貴重な古墳群といえます。
 石清尾山古墳群のなかでも山頂一帯に所在する主要な11基の古墳は、昭和60年7月16日に国の史跡に指定されました。

高松教育委員会より
  


@北大塚古墳

  全長40mの前方後円墳。隣接した北大塚東・西の小型古墳を従える。前者は群中唯一の方墳。

A鏡塚古墳

  全長70mの双方中円墳。猫塚古墳とともに、全国的にも稀な墳形をとる。尾根最高所に立地。

B石船塚古墳

  全長57mの前方後円墳。前方部が細長く伸びた、柄鏡式の前方後円墳。割竹式石棺をもつ。

C小塚古墳

  全長17mの前方後円墳。最も小型の前方後円墳で、尾根道が墳丘上を通っているため、荒廃。

D姫塚古墳

  全長43mの前方後円墳。前方部が向く西が低いため、より多く石を積み外形を整える。

E猫塚古墳

  全長96mの双方中円墳。鏡等多量の副葬品が出土した大盗掘により破壊されている。

F石清尾山2号墳

  径10mの盛土墳。近隣の3号墳とともに、横穴式石室墳。比較的保存状態良好。

G石清尾山9号墳

  全長27mの前方後円墳。北大塚古墳とは谷を隔てて向かい合う。

H石清尾山13号墳

  径9mの盛土墳。横穴式石室の天井石が取り除かれている。須恵器等が出土。

文化財は、私たちみんなの財産です。次にことを守り楽しく見学をしましょう。
※石を崩さないようにしましょう。 ※ゴミは必ず持ち帰りましょう。